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「ワシがゆうたんやない!
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2012/01/14

映画「スーパー!」を観ました

DVDで「スーパー!」を観ました。
自分のどうしようもない人生に向き合う男を、ヒーローを介在させて描いた映画です。コメディタッチですが内容は重く、いい映画です。

人生で最高の瞬間が「警官の追跡に少し協力したこと」と「妻と結婚したこと」だけの冴えない男が、薬物依存を再発させた妻にドラッグディーラの元へ去られてしまう。
嘆き悲しむ男はTVの子供向け宗教番組のコスチュームヒーローに感化されてコミックストアで研究し、自ら「クリムゾンボルト」を名乗るヒーローとして活動しはじめる。 街で万引き犯やドラックの売人、幼児売春の客を懲らしめ、遂に妻を取り戻すため、コミックストアで出会った女性を相棒にドラックディーラと対決をする。

話を2つに絞ります。
まず主人公と妻の関係性です。
男にとっては美しい彼女と「結婚したこと」が人生で最高の瞬間であると冒頭で述べられている通り、その「結婚生活」が最高であるわけではないんですね。敬虔なクリスチャンではあるけども、街の汚いダイナーで働くことと家が全ての世界で、言ってしまえばつまらない男であるためです。妻にとっては薬物依存から脱した自分が、もう薬物に頼らなくとも生きていけることを証明するため、また、その支えとして結婚をするわけです。そこでは特にこの男である必要はないわけです。
とすると、妻が去ってしまったことは、ドラックディーラが関わっていますが、結婚生活が上手くいっていなかったことが原因です。しかし、主人公の男はこの事実を無視し、妻が居なくなった憤りを正義の行いにすり替えるわけです。

次に主人公にとってのヒーローです。
子供向け宗教番組のヒーローに感化された主人公の男にとって、正義を成すヒーローは神と同義です。
神の啓示を受け、自らもヒーロー「クリムゾンボルト」になったわけですから、「クリムゾンボルト」の成す行いは、神の代行としての行いになります。
しかし、映画館の行列に横入りする男まで制裁することで変化が生じます。横入りを注意する段階では素の自分として発言していますが、バカにされて聞き入れられずに制裁する段階では「クリムゾンボルト」に変身します。これは自分の怒りを正義にすり替えたものあって、神の代行として行った行為ではないわけです。これで嫌気が差して、一度は「クリムゾンボルト」を止めようとしますが、自分の怒りによる行動を正義の行いにできる便利さを手放せなくなってしまいます。
よって、上記で述べたように妻を取り戻すことを正義の行いとすることができるようになるわけです。

ここで相棒ボルティーの登場です。
コミックストアで働くくらいヒーローが好き、自分もヒーローになりたい、ヒーローとやっちゃいたい、と思っている娘の無思慮な暴力を男は嫌悪しますが、その実、男の行動とそれほど変わりません。相棒に引きずられるように再度妻の奪還に乗り出しますが、ここで正義も何もない「生」の復讐に行動が変わります。

自分の憤りや怒りのような、あってはいけない感情を許容することでわざわざ神を介在させて現実に対処する必要はなくなります。自分をまるごと自分で許容できるなら、人生で最高の瞬間はそれを感じることができる自分の問題であることがわかります。
ラストは、たったこれだけのことを理解するために失った大きなものに対する悔悟ではないでしょうか。

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