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「ワシがゆうたんやない!
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2010/03/14

映画「ミルク」を観ました

2009年に日本で公開された「ミルク」をDVDで観ました。

1972年のアメリカ、ニューヨーク。金融業界に務めるハービィ・ミルクは、20歳年下の彼と出逢い、恋に落ちる。新しい生活を求めた二人は、サンフランシスコの同性愛者、ヒッピィの多く住む「カストロ地区」に移住し、カメラ店を始める。
次第に同性愛者やヒッピィを惹きつけ、彼らの問題の解決に関わるうち、1973年から公職に立候補、4度目の挑戦となる1977年のサンフランシスコ市市政委員選で念願の当選を果たす。これは、アメリカの大都市の公職で、初めて同性愛者であることを公表した人物の就任であった。
その彼が直面したのは、「同性愛者の教師を解雇できる」とする住民投票の提案であった。精力的に反対運動を展開し、否決を勝ち取った彼だが、その直後、同僚委員によって、市長ともども銃殺されてしまう。
映画はマイノリティのために戦った彼の最後の8年間の記録である。

実在の人物を扱った映画のカギは、対象との距離にあるかと思います。
本作は、人物の魅力を描くのではなく、映画中多用されたガラス越しの映像同様、相対的にとらえています。
結果、彼がなぜこれほどの人を惹きつけたか、ということではなく、時代のうねりの中で、彼が演説する前に必ず言う言葉同様「人を集めるために~」(字幕では“勧誘”となってますが)アイコンとなり、その「ムーブメント」を盛り上げることを考えていた、ということが描かれています。

めんどくさい話で申し訳ないのですが、たった30年前に、個人の性であるにもかかわらず、公民権を制限する社会状況であったのが現実です。
ネイティブ・アメリカンや、アフリカン・アメリカンに対するものは二重に表面的なものであるので、広く知られていますが、同性愛、異性装というだけで権利が制限される、しかも、その回復のために活動するだけで、暗殺の恐怖があるというのは異常です。
ただし、人種間と同様、現在進行形のものであり、アメリカだけのことでもないです。根は偏見と共に、「異なること」に対する恐怖があるのですが、人種や宗教が同じであるということが価値観が同じであるという幻想を捨て、極論すれば個人はすべて違うということを認め、世間や社会がそれとは別の話として組み立てられるようになる必要があると考えます。

何度もいいますが、現在進行形です。
「どこかでだれかの」権利が阻害されることになれば、それはいつ自分の身にも及ぶか判らないことであり、多数派であることはその防御にはならないです。
暗殺を危惧したミルクが、暗殺された場合に公表するよう録音したテープに吹き込んだように、「希望を与え、その希望を他の人に伝えていく」協同関係が必要です。

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