いらっしゃいませ!!

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「ワシがゆうたんやない!
    電波や…、電波がワシにいわしよんのや!」

2007/10/06

生産性の向上ってなによ?

さて、例えば、皆様はお子様の「なんで勉強しなくちゃならないの?」の質問にどう答えられるでしょうか?
ワタクシはこう答えます。「人類の繁栄のため。」

まぁ、大仰に答えて、本質を見えなくしていますが、基本そうだと考えるわけです。
全く勉強しなかった子が、後日大発見に及び、二次方程式の解法を生み出す…、なんてゆうことは、人類からすれば、その子の才能と時間の浪費であるととらえられます。
つまり、人類全体の生産性を考えれば、どのような才能を発揮するか分からない不特定多数を相手にした場合、一定の知識はその才能の発揮前に、あまねく伝えておかなければ、新たな知の生産が覚束なくなるわけです。
この場合、過去の知は、既にあるものとして消化されていますので、一般にいわれる”詰め込み教育”といわれるよう、自動化されています。

現在の日本の製造業の生産性の高さは、世界に誇るものとして喧伝されていますが、1・3次産業の生産性の低さを少子化対策も絡め改善するよう、官民共挑んでいます。
一朝にいくものではなく、そのしわ寄せはワタクシ達はたらくものにきた結果が、現在の社会人の働きにくさにつながっておりますが、これは、方法が間違っていないか、と考えるわけです。
人類社会のように大きく観ればシステマティックに動くもののように、会社も動かさざるを得ない場合、集積知は当初より継承されるべきであり、それは自動的に受け取るべきものであると考えます。よくマニュアル信仰、また逆のマニュアル化の弊害がいわれますが、マニュアルは、その業務を支える基礎であり、マニュアル通りにことを運べば完結するものではないはずです。FF店で行われるサービスはマニュアルによるのではなく、マニュアルからはみだした、それ以上のものからがサービスであるととらえるわけです。それが全体に波及するものであると確認される段階でマニュアルに組み込まれ、また新たなサービスがレベルがアップされた状態で提供される、のが本質でしょう。

ホワイトカラーの業務にも同様の明文化と発明、発明の明文化が必要と考えます。状況によってかわるから、という理由が考えられますが、状況によって変わる部分は、上記の”はみだした”部分であり、逆に言えば、なにが状況によって変わらないか、が明文化されるべきではないでしょうか。
システマティックに動かない1次産業には、生産性を求められない、と考えがちですが、これは、そう動く状況(大規模化)、を適用せざるを得ないでしょう。当然、参加しないという選択肢は残す必要があります。大規模にものごとを動かすには、意思決定が自動化される部分がなければ、当事者の合意形成が難しいため、初期設定から状況を細分化、話し合いによる合意部分を減らさなければたちいかない。なにも農業の株式会社化だけではなく、ソフホーズ的共同体でも良いのではないでしょうか。

また、国際的分業性に則れば、国内のモノ・サービス消費は国内で生産されるのが全体最適でしょうから、少子化が進み、国内人口が減少することとなっても、全体量が少なくなるはずであるので、対応することは可能なのではないでしょうか。逆に、海外消費に対しては、海外で調達する必要があるはずで、生産性の再現が必要であり、その輸出という考え方(知の輸出)をもつべきでしょう。
で、過去少し本ブログでも書いたのですが、移民の受け入れを拒否し続けるこの国には、いい加減、海外移民された方の子息の方や、研修名目の労働力の受け入れというような、曖昧な対応を止めてもらいたい。ちゃんと労働ビザ制度を確立しなければ、日本人が輸出する”知”である必要性がない限り、日本が輸出する”知”が生み出されない可能性が出てきます。単純労働の代替としかとらえられないなら、あまりにもあまりです。

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