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2007/01/03

高村 薫の「照柿」読了、その感想について

高村薫著文庫版「照柿」読了しました。
長い間”積ん読”状態だったんですが、お正月休みを利用して読み切りました。

できれば、ハードカバー版との比較もしてみたいところですが、時間的に無理そう(比較した方、何処がどう違うか教えていただけませんか)。
以下、ハードカバー版に言及した場合はあくまで印象です。

「黄金を抱いて飛べ」以降、高村作品のファンになったワタクシは、「わが手に拳銃を」を改作した「李歐」、「神の火」「マークスの山」の文庫版のハードカバー版からの改稿を、作家のエゴだと考えています。
確かに、ハードカバー版の数年後に出される文庫版に対して、作家の成長、もしくは、現在の思考との齟齬が生じ、原版のまま出すのはためらわれる状態のものもあるかとは思います。また、文庫化に際し、出版社は当然校正を求めますから、表現上の改稿はまま見られることではあります。しかし、氏の加筆は数年に及ぶこともあり、作品は原稿を預けた段階で出版社のもの、という現状と乖離し、発表した段階で作品は作家の手を離れる、ことを念頭においておられないのか、とも考えます。
ただし、ファンであるワタクシには、改稿前、改稿後の作品の何が加筆され、何が消されているのか、は作家の推敲の軌跡をみせられ、作品の変化の奇跡を体感できる、同時代感をもつ貴重な作品であるわけです。

で、本作ですが、内容はブッ飛ばして、二人の男の腹の底でフツフツと沸き立つ自分と現状との違和感(ここの表現は一言では無理)が、片や不眠等により噴出した男と、前回の事件以降、表に漏れだした男の物語だと理解しています。
氏のプロダクトへのこだわりは有名ですが、普段冗長に感じるそれが、今回の熱処理炉への言及は、片方の男の心象への影響に重なり、重苦しさを増していきます。書かれていない感情(行間という意味ではなくて、「楽しい」「辛い」という文字にされていないこと)が表現を重ねる事により、感情を伝えてくる(無感情、無感覚の部分も)ものなのだと、改めて思います。
何より”作品上の”二人の男に向き合い、その精神の軌跡をつぶさに観察し、それに徹底的に向き合い、文字に込め、作品に織り上げていった作家の忍耐強さ、執念に驚かされます。
読むこちら側にも、それなりの覚悟がいる作品です。改稿することにより、削られた文のその尖った先で、感情を直に読者に刻み込む、その瑕を刻まれつつ、日常を生きていく覚悟がある方は、読まなければならないでしょう。

以上の文を読んで、何が何か分からない人は、こちらも読むべき。ワタクシがいいたいことが感覚として理解していただけるのでは(ただし、瑕を負いますよ)。

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