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2006/09/11

”9・11”を考える Part2

さて、先日の報道で、アメリカ上院委員会は、アルカイダとイラクのつながりはなかったという報告書が提出し、衝撃が走っています。
しかし、アメリカのイラク侵攻は、アルカイダを特定したものではなく、イラクの持つ大量破壊兵器が各地に散らばるテロリストに渡る懸念がある、為のものでした。
よって、アメリカによるイラク暫定統治中の報告により、大量破壊兵器の存在は否定されており、この時点でイラク侵攻の大義は失われていたと考えるべきでしょう。
ただし、アメリカ本国でのイラク侵攻の大義の否定は、ブッシュからの共和党の離散であり、今後反動的にイラク侵攻、駐留の批判となっていく可能性があります。このこと自体は、現在のイラクにとって、大変危うい状況を招く可能性がありますが、イラク侵攻自体の検証は必要でしょう。同列に、イラク侵攻に賛同した日本に関しても、その検証が必要になるのですが、未だ、今報告自体が黙殺されている状態です。
では、イラク侵攻とは何だったのか。

”9・11”の2年後、アフガニスタン侵攻が泥沼化する前、次なる標的としてアメリカが掲げたのはイラクでした。その時の理由としては上記の通り、大量破壊兵器所持の証拠を友邦国のみに開示し、賛同をえるという、多くの国に疑問をもたれたままの強行突破でした。
なぜ、イラク侵攻なのか。目的はイラクではなく、あくまでフセインだったのではないでしょうか。
さかのぼって、16年前、イラクのフセイン大統領は、その領有権を主張し、突如クウェートに侵攻しました。このときのアメリカの大統領がブッシュ、現大統領の父です。この時、クウェートの首長、周辺産油国の要請により、アメリカを中心とする多国籍軍はクウェートからイラク軍を追放し、その後、イラクへの制裁活動として、積極的な軍事的圧力をかけ続けました。しかし、フセイン政権は倒れなかった。反政府勢力によるクーデターを主導までしていたのに。
民主党から政権を奪ったブッシュ大統領にとって、フセインはブッシュ家の敵であったのではなかったのでしょうか。
侵攻に対して、事前にシュミレートされた抵抗も無く、フセイン政権は崩壊、この時点でブッシュ家にとって残すはフセインの身柄だけであったでしょう。

しかし、事態は停滞、終戦の宣言をし、暫定統治を離れた今でも、抵抗勢力による自爆攻撃が絶えず、一般人を巻き込み混沌の渦の中に飲み込まれています。
暫定統治中の移行政府樹立交渉中に言われましたが、アメリカがフセイン政権崩壊後のシナリオを考えていなかった、ことは本当だったのではないでしょうか。恐らく、フセイン政権打倒→アメリカの侵攻を歓迎→式典付きの引き上げ、くらいしか頭に無かったのではないでしょうか。現在のシーア派、スンニ派、クルド人による権力闘争、イスラム教2派にはさらに部族(氏族)ごとに財産、権力の闘争がありますし、1つになったとはいえ、クルド人は2派に別れており、互いに闘争した歴史もあります。
だいたい、コンドリーサ・ライスだって、中東の専門家かもしれませんが、イラクウォッチャーではなく、侵攻による中東地域の影響評価が仕事だったのではないでしょうか。

そして、現在に至る。
無策・後手のイラク政策により、イラクは純粋テロリストを含め、各派による闘争の場となっています。また、周辺国のイランは中心となったシーア派との関係強化を模索し、トルコは自国のクルド人の独立問題を鑑みて、イラク北部のクルド人自治区成立に干渉します。
このままでは、イラク自体は旧ユーゴスラビア化するのではないだろうか、というのがワタクシの見方です。
そのときに、駐留軍を置いておく事がアメリカにできるのか?その前に、フセインの首をとる為、本当の戦争状態をイラクにもたらした判断は妥当か?、また、アメリカ国民を、世界を巻き込んだ罪は?

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