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「ワシがゆうたんやない!
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2011/01/11

映画「ソーシャル・ネットワーク」を観ました

えっと、デビッド・フィンチャーは何が良くてこの題材を映画にしたんでしょうね。いや、映画自体は十分面白いものなんですが、これまでのフィンチャー作品からすると異質に映るのですが。TV東京の「カンブリア宮殿」ではないですが、どんな企業にもその興隆までにドラマがあると思うのです。ザックくんに人間の業を見たのか、同時代性を追求したのか。それならばFacebookの衝撃は、フィンチャーに映画を撮らせるぐらいだ、ということになるのでしょうか。
1/15日本公開、ゴールデングローブ始め、アメリカの賞レースで本命視される「ソーシャルネットワーク」です。

2003年秋、ハーバード大学に通う19歳のマーク・ザッカーバーグは、恋人と別れた腹いせに、ハッキングによって手に入れた学内の女子学生の顔写真を比較するサイトをブログで実況しながら、わずか一夜で製作。学内の注目を集め、エリート学生であるウィンクルボス兄弟から出会いサイトの創設を依頼される。それを機に友人のエドゥアルド・サベリンから1,000ドルの融資を受けCFOとし、ソーシャル・ネットワーキングサイトの制作に取り掛かり、2004年初頭、「ザ・フェイスブック」が誕生する。そのサービスは瞬く間に他校でも評判となり、ファイル共有サイト「ナップスター」創設者のショーン・パーカーとの出会いを経て、社会現象を巻き起こすほどの巨大サイトへと急成長を遂げる。
マークに対する2つの訴訟を通じて、世界最大のソーシャルネットワーキングサイト「Facebook」創設を描く。

高橋幸宏氏は、YMO時代を振り返り、自身を含むメンバの才能を評して、自身は秀才、坂本龍一氏は天才、細野晴臣氏は鬼才と仰っていました。
これに倣うと、エドゥアルド始めハーバードの俊英たちは秀才、ショーン・パーカーは天才、ザックくんは鬼才といったところでしょうか。鬼才は単独では世に知られることはなく、秀才には鬼才の才能の全容は解らないし、天才はその才能の凄さを知り、鬼才が世に知られるように手を貸し、また利用する。
嘘ですね。天才や鬼才と呼ばれる方は、その洞察力を通じて、人の感情を類推することにも長けています。そうするとザックくんはただのギーグやナードと呼ばれる人間ということになります。
彼女に、あなたは将来優れたプログラマになって、女の子にもてないのはオタクだからだ、と思うかもしれないが、それは間違いだ、あなたがもてないのはあなたの性格が悪いからだ、と別れを告げられ、パブから寮まで俯きながら小走りに帰るザックくんが冒頭のクレジットの背景になっていますが、億万長者になってもその感情のまま、ということでしょうか。5億人のコミュニケーションを作りだしたが、本人はただ一人の女の子とコミュニケートしたかっただけ、ということです。
フィンチャーとしては、世界中に衝撃を与えていることが実はそれだけのことなのだ、ということか、それだけのことが世界中に衝撃を与えることになっているのだ、ということのどちらか、もしくは両方か、ということでしょう。

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