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2010/09/25

ヒューマノイドの電子書籍は夢であるか

電子書籍やその供給サイドの体制について、議論やインフラに混乱が見られるので、整理をしたいと思います。
ただし、個人の方が行われている、紙の印刷物をスキャナでデータ化している行為は除外します。付記すれば、これは、あまり意味がないことだと考えています。

文字情報を伝える手段として、ネットでの流通は、出版界にとって、グーテンベルクの活版印刷以来の衝撃になりますが、その実は、インターネットの通信技術を使った流通の改革であると考えます。

現在の書籍流通における各セクタを出版社(企画・編集部門)・印刷・仲卸(ストック・物流)・書店(小売)と分類します。
まず、出版社は、流通の前工程にあたり、上記理由により、何ら役割が変わることはありません。確かに、後ほど述べる製作と流通のコストが減ることにより、出版物の流通のハードルが下がり、ごく個人に近いサイドで出版できることになりますが、本来、採算がとれるほど多くのユーザに利用される(購入される)出版物というのは、その目的のために企画・編集されたものであり、その機能及びノウハウが一元的に集約されている出版社は、従来と変わらずその機能を保持・充実させることが本意です。出版のしやすい状況になったとしても、そこで流通する出版物は、従来の自費出版や同人誌の位置付けであり、マスの収益には影響しません。また、出版社の乱立も考えられますが、著作物である限り、その権利を保持する出版社が独占的に利益を得ることができる現行法を援用する前提ならば、規模の利益は製作段階で引き続き生きます(大きな出版社ならば、製作点数を多くできるという意味です)。
よって、このセクタが混乱することなく現行の業務を磨くことが必要です。「活字離れ」というふうに言われますが、手に取りやすさが「活字」に人を呼び込む事も考えられます。ただ、個別の出版社がそれぞれの出版物の小売サイトを設けている、もしくは準備しているのは無駄です。他の出版社の著作物のまとめ購入に不便でユーザビリティが低いものにしかなりません。

深刻であるのは印刷そして仲卸・小売です。製造セクタの印刷会社はそもそも印刷する必要がないです。切り替わるまでの紙の出版物を低コストで製作できる体制を整えつつ、各社が協力・統合するしかありません。
凸版印刷や大日本印刷がやっているように、小売分野に出資することは、小売部分で述べます。
仲卸についても同様。流通セクタの卸会社は、現物がない以上、ストックすることも、小売毎にピッキング配送する必要もありません。
小売セクタについては、紙の書籍の流通を支えつつ、小売サイトを構築すれば良いということになります。が、複数の小売サイトが乱立させる必要はありません。よって、サイトでは資本力による先行者利益と淘汰が行われると考えています。当然利幅は紙の出版物よりも減りますが、著作権が失効したものや、絶版になった出版物の流通により、供給量の拡大が可能になりますから、決して混乱する必要はないと考えます。
また、先行した音楽ダウンロード販売の供給サイドの失敗は避けなければいけません。音楽ダウンロード販売ではデバイスサイドが主導権を握り、その販売方法や価格等の決定権を持っていかれました。そのため、サーバ負荷を軽減する楽曲の切り売りや、アルバム一枚10~15曲で2,000円前後であるなら一曲あたり150円という計算で採算に乗らない無理な価格設定が行われ、音楽会社に危機が訪れています。確かに良質な音楽が音楽会社からのみ供給されるとは限りませんが、著作権者の取り分が減り、音楽で生活することが難しくなり、また、その育成にお金をかけることができなくなっています。これはユーザにとっても不幸なことであり、出版物に関しては供給サイドがイニシアチブをとることを望みます。

最後になりますが著作権について、これは、現行の紙の出版物同様、小売価格の十数%を払うことで良いと考えます。小売価格については、印刷はデータ化と同額として、それでも紙・ストック・流通のコストがなくなりますから、紙の出版物よりも安くなります。ただ上記したような音楽の価格設定に踊らされることなく、冷静に考えれば、紙の出版物もデータでもその著作に関する著作者の取り分を一定にすることは理であると考えます。現在上がっている、一定期間後からの著作権の発生やその取り分のパーセンテージの減額などは、再考することを勧めます。

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