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2010/03/08

映画「グラン・トリノ」を観ました

2009年公開の映画「グラン・トリノ」をDVDで観ました。

子供も自立し、老後を過ごす男が、妻を亡くす。保守的な考え方の彼は、親類や子供からも煙たがられる存在で、唯一、教区の教会の新米神父だけが妻との約束を守り、何かと世話をしようとするが、青二才の神父を彼は相手にしない。
そんな時、隣の家に、アジア系の家族が引っ越しをしてくる。最初は同族のギャングにそそのかされたその家族の少年に愛車を盗まれそうになり嫌悪するが、そこから、ささやかな交流が始まり、好意を抱くようになる。そして、少年を一人前の男にすることを楽しむようになるが、ギャングの嫌がらせが再燃し、少年の家族との対立は決定的なものとなっていく。ウォルトは少年とその家族を守るため、決着を計ろうとする。

これほど現代のアメリカの構図をピタリと切り取った映画もないです。このあたりのことは、ワタクシは大好きなので、感想を記述したいのですが、大半の方にとっては「ウザい」だけになるので、下部に離しておきます。

映画だけをとると、イーストウッドは志向に筋が通っていて、かつ柔軟な考え方の人なのかなぁ、と思えます。初期の監督・主演作品から「人として正しい」ことをアメリカ人の男性~アメリカ人の女性~外国人、に広げていったような感覚があります。この映画を「現代の西部劇」と見立てることができるのも、そのあたりからくるのではないのでしょうか。
イーストウッドは、ハリウッド映画とは一線を画した映画を撮り続けた人ですが、今作は、大変収まりよく2時間弱で作ってます。が、アジア系の少数民族を取り上げるところなどは、まだまだ気骨があるカンジです。
ラストは驚きですが、その選択をした理由があり、後味が悪くなく、すっきりとしたいい映画です。



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ウォルトの名前ですが、「~スキー」というところからも判る通り、東欧系のアメリカ人です。これが自動車会社フォードの組立工なんですが、アメリカの自動車会社、ビックスリーの東部にある工場の組立工というと、東欧系の方が多いんです。
これと同じように、イタリア系は同じく東部の飲食・理容などのサービス、アイルランド系は建築・機械などのように移民の早い段階の民族は生活周りの仕事、そこから段々工場などの生産に移っていくようなイメージで職業につき、かつ、子は親がやっている職業を継ぐような生活が東部アメリカのイメージで、これが「貴族なき階級社会」アメリカの実情であったわけです。
このようなブルーカラーの中産階級の人達の考えは、家族の中で、家を整えるのは男性の仕事、庭の芝刈りもそうです。また、職業同様、家庭でも道具を大切にし、それが人に現れるわけです。女性は家事全般の役回りで、男性が炊事するのはバーベキューなど特別な場合です。問題はできる限り自分で処理をし、そのために、コミュニティーを大切にします。個人の銃所持の正統性は、ここを主張の一義としています。ラストの自分の病気とギャングに対する作戦の同調は、これで、なるほど、となります。
これが保守です。保守とは、過去の言葉にできない、しかし引き続き存続させていこうと思える「うじゃむじゃ」を尊重する考え方と定義します。
しかし、80年代以降、アメリカは、「モノをつくらない国」に変貌していきます。GDPの7割が消費といわれるような中、所得は金融サービスに依存します。生産の大半は他国に流出し、建設業が残るくらい、この映画の舞台、ミシガン州など東部は廃れていく地域であるわけです。
そんな中で保守の矜持を保っているウォルトや知人たちの矜持の象徴として、72年~76年に生産されたフォード・トリノが存在していると考えられるんです。自慢して乗り回すのではなく、愛蔵し、磨き上げ、それを眺める対象としてピッタリのアイコンです。

他方、隣に引っ越してきたモン族ですが、この人達がアメリカにいる起源は65年のベトナム戦争に端を発します。
南ベトナム政府を支援し、戦闘の全面に立っていたアメリカ軍は、その支配地域と思われる南部でも攻撃を受けるようになります。これは現地の反南ベトナム政府勢力に北ベトナム(表面は南ベトナム解放民族戦線)から武器が渡っていたことによるもので、これは、当時王政だった隣国ラオスの左派勢力支配地域のベトナム隣接地を通った「ホーチミン・ルート」を介してものでした。
アメリカとしては、当該国ではないラオスであるため、この左派勢力支配地域を直接攻撃することができず、当時のCIAが工作を行い、同地域に住むモン族を懐柔し、武器を渡し、ルートの攻撃にあたらせました。戦争後半にはアメリカ軍による同地域に対する爆撃などもあり、モン族の被害は多大でしたが、73年のアメリカ軍撤退後、北ベトナムの勝利、ラオスの共産化と敵として戦った相手に挟まれ迫害されたため、一部はタイまで逃れました。
この一部をアメリカが引き受けた人々とその子孫が今回のモン族です。
このあたり「地獄の黙示録」の題材に使われていたり、現地のCIA工作員責任者の行動など色々面白いんですが、それはまた別になります。
彼らの住居にバプテスト教会が勧めたのは、アメリカの廃れた地域である、というのは現実にありえると思えるほど巧い筋です。

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