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2010/02/28

映画「セントアンナの奇跡」を観ました

レンタルDVDでスパイク・リー監督の「セントアンナの奇跡」を観ました。
スパイク・リーは、別にニューヨーク・ニックスのホームでフロアサイドにいるだけの人ではないのです。
ワタクシは、監督の「ジャングル・フィーバー」で、初めて黒人差別が黒人対白人にあるだけでなく、黒人の中で、その肌の色の濃淡に対してもあることを知りました。

物語は1984年、ニューヨークの郵便局で局員がカウンタに現れた男を、顔を見るなり射殺する事件が起こる。
郵便局員は、何も語ることなく謎が深まるが、そのカギは1944年のイタリア、トスカーナにあった。第二次大戦下、郵便局員は、アメリカの新たな戦略、黒人だけの歩兵部隊「バッファロー・ソルジャー」の一員としてナチスとの激しい戦いに身を投じていた。
渡河作戦の際、4人の兵士が対岸に置き去りにされ、敵陣の中で孤立してしまう。そんな中、兵士の1人が現地の子供を保護し、その救護のため、トスカーナの村に辿り着く。

これまでの監督の映画同様、黒人差別に対する考えが投影されています。
ただし、その口調は、柔らかくカンジられます。
アメリカ国内の差別に対し、イタリアの、しかもその田舎町の中では、安らぎを感じられるほどの人間関係。しかし、兵士達は、アメリカのために戦っているという矛盾。ある兵士は金のために戦い、ある兵士は未来の同種人のために戦います。
監督として初めての戦争を題材とした映画だからでしょうか、戦争や人種間の対立は、例え田舎のイタリア人であれ、ドイツ人であれ、アメリカの黒人であれ、言語が違えど、唱える祈りは同じであるという現実においては無意味だということのほうが強く主張されているかと思います。

しかし、監督は「セントアンナの虐殺」の史実にどんな“奇跡”を見たのでしょうか。
イタリアのパルチザン掃討のため、村人を集め、情報を得る目的を達することができないため、その村人全てを殺した史実には、“奇跡”のカケラすらなく、物語のサイドストーリィとして組み込むには、適さないようにカンジます。

時間が160分強と長尺ですが、振り返ってみると、削れる部分がなく、雰囲気を作るために必要なエピソードですので、仕方ないです。このあたり、スパイク・リー監督は、映画を作るのが巧いということでしょうか。

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