福島第一原子力発電所の事故に対する政府の会見の際に使われ、その意味を測りかねる言葉があります。
「直ちに健康には影響しない。冷静に対処してほしい。」
官僚の言葉というのは、自分達に責任が及ばないように、かつ世間が騒ぎ出さないように、日本語を複雑にして、普段は政治家を欺いて法案を骨抜きにするのに使っています。「前向きに善処する」が「何もしない」という意味であるのが例です。
「直ちに」とは、少なくともその日を示します。正確には「その一瞬」という意味で、後々訴訟が起こったときに法廷で「誤解を与えたとは言えない」と客観的に判断される期間として1日間みておけば大丈夫だということであり、その日のうちに健康を害する被曝者はいないだろうという判断によるものです。つまり、2日後に放射線の影響で健康が悪化しても、嘘をついたことにならず、法廷でもそういう解釈になるので、後で裁判をやっても責任は問えません。実際の被害を指したものではなく、責任を回避する言葉であるということです。
「冷静に対処」とは、冷静に自分の被曝量を計算して年間の規制値を越える前に避難しろ、ということで、パニックにならず、自分で冷静に判断する必要があり、何もしないことではありません。これは、被曝量は色々な条件で変わってくるし、健康被害の度合いは個人差があり、一概には言えないからで、「大丈夫」と言って大丈夫じゃなかったら問題になるし、「危険だ」と言っておいて何も無いというのも問題になるため、どんなケースでも責任を逃れることができる言葉として使われています。
要は、官僚や政府に責任が及ばないようにした発言なので、本当に危ないかどうかとは関係はない言い回しになり、危ないかどうかを知りたい受け手に意味が通じない、ということになります。
こういう言い回しは、別に日本固有のものではなくて、外国においても「官僚語」というものは存在します。外国が日本と何が違うか、と言えば、政府が広範囲の国民に向かって言えることはその程度であり、後は各人が判断し行動するしかないのだ、と割り切っている、というところだと思います。だから正確な情報を出せ、情報を隠すな、と求めるわけです。つまり、自分がより正確な判断ができるように情報をだせと言っており、どう判断するかは各個人の自由で、どう判断するかを指示してくれ、ということではありません。
行動の場合分けをすれば、政府の発表を信じられず、嘘・隠匿があると考えれば、その国で自分の身の安全や生活を守っていく事は不可能ですから、その国からは出なくてはいけません。発表されることから危険だと判断した場合は、自分の身の安全と生活を秤にかけた行動をすることになります。発表されることから安全だと判断した場合は、これまで通りの生活を続けます。
現在の状況に不安を覚え、政府の「大丈夫だ」「安心だ」という発表を信じられず、誰かの「実際に大丈夫だ」、「実は危険だ」という発言を拾い集め、誰々はこう言っているが本当はどうか、と政府に詰め寄るというのは「情報の迷路」に入っているわけです。そこでは、自分がどうすれば良いか、という回答が出るまで彷徨うことになるのですが、決して誰もその問いに答えは返せないです。
「直ちに健康には影響しない。冷静に対処してほしい。」
官僚の言葉というのは、自分達に責任が及ばないように、かつ世間が騒ぎ出さないように、日本語を複雑にして、普段は政治家を欺いて法案を骨抜きにするのに使っています。「前向きに善処する」が「何もしない」という意味であるのが例です。
「直ちに」とは、少なくともその日を示します。正確には「その一瞬」という意味で、後々訴訟が起こったときに法廷で「誤解を与えたとは言えない」と客観的に判断される期間として1日間みておけば大丈夫だということであり、その日のうちに健康を害する被曝者はいないだろうという判断によるものです。つまり、2日後に放射線の影響で健康が悪化しても、嘘をついたことにならず、法廷でもそういう解釈になるので、後で裁判をやっても責任は問えません。実際の被害を指したものではなく、責任を回避する言葉であるということです。
「冷静に対処」とは、冷静に自分の被曝量を計算して年間の規制値を越える前に避難しろ、ということで、パニックにならず、自分で冷静に判断する必要があり、何もしないことではありません。これは、被曝量は色々な条件で変わってくるし、健康被害の度合いは個人差があり、一概には言えないからで、「大丈夫」と言って大丈夫じゃなかったら問題になるし、「危険だ」と言っておいて何も無いというのも問題になるため、どんなケースでも責任を逃れることができる言葉として使われています。
要は、官僚や政府に責任が及ばないようにした発言なので、本当に危ないかどうかとは関係はない言い回しになり、危ないかどうかを知りたい受け手に意味が通じない、ということになります。
こういう言い回しは、別に日本固有のものではなくて、外国においても「官僚語」というものは存在します。外国が日本と何が違うか、と言えば、政府が広範囲の国民に向かって言えることはその程度であり、後は各人が判断し行動するしかないのだ、と割り切っている、というところだと思います。だから正確な情報を出せ、情報を隠すな、と求めるわけです。つまり、自分がより正確な判断ができるように情報をだせと言っており、どう判断するかは各個人の自由で、どう判断するかを指示してくれ、ということではありません。
行動の場合分けをすれば、政府の発表を信じられず、嘘・隠匿があると考えれば、その国で自分の身の安全や生活を守っていく事は不可能ですから、その国からは出なくてはいけません。発表されることから危険だと判断した場合は、自分の身の安全と生活を秤にかけた行動をすることになります。発表されることから安全だと判断した場合は、これまで通りの生活を続けます。
現在の状況に不安を覚え、政府の「大丈夫だ」「安心だ」という発表を信じられず、誰かの「実際に大丈夫だ」、「実は危険だ」という発言を拾い集め、誰々はこう言っているが本当はどうか、と政府に詰め寄るというのは「情報の迷路」に入っているわけです。そこでは、自分がどうすれば良いか、という回答が出るまで彷徨うことになるのですが、決して誰もその問いに答えは返せないです。
0 件のコメント:
コメントを投稿
コメント・バックリンクありがとうございます。