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2010/12/15

古いものにこそ価値がある、というお話

古い建物や記録などの保管について、なかなか定見が見出されませんよね。

[日本経済新聞 12月14日 記事「文化往来」より]
大阪府立特許情報センタの閲覧室が廃止されるのに伴い、70年にわたって収集された、40万冊もの情報のほとんどが廃棄される。
日本に特許制度が敷かれ125年の今年、記念行事も催される中、ピーク時には1万8千人の利用者がいたが、昨年は約3千人に減少し、府の財政事情も厳しいための事業の見直しとなった。

なんでもかんでも保存するのはきりがない、と考えることもできますが、行政文書は将来的にすべて電子化するであろうことが見込まれます。いや、今現在でもそうなって然るべきなのに、遅々として進まないことが異常。つまり、この件にかんしても、保存する量は有限であるということです。
また、資料の価値というのは、現在の基準に従って処理すると、誤る恐れがあります。未来における価値が計れないなら、保存できるだけを保存する、というのが正しい考え方ではないでしょうか。

古いものを残す、というのは経済効率が悪いと考えられます。しかし、ものの集積と、それを残そうとする意思が「文化の実体」なのであり、文化の深浅が地方や国どうしの「差」に繋がり、何かあったときの決定的な判断基準になる可能性があると考えるなら、効率の良悪で計ってはいけません。
例えば、日本の繊維産業は、経済の傾向が軽工業から重工業に移るうちに衰退してしまい、中国・東南アジアで造る方が、国内で造るよりも、安価で質の高いものができるようになってしまいました。投資はこれらの国に向きますから、最新機器が投入され、より効率よく高質のものが生み出されるようになります。
ただし、軽工業ですから、取り入れやすい産業であり、また、成熟産業ですから機器の進歩も小さく、後発国が追いつきやすいものであり、産品が同質化しやすいです。
この状況で、産品を差別化しようとする場合、先端品はキャッチアップが容易ですから、産品そのもの以外の価値でしか差別化できません。そのときに、日本で古い機器を保存している企業であれば、それを差別化の売りにできるわけです。中国・東南アジアでは、現地で軽工業が興る70年代以前の機器はないでしょうが、日本では100年前の機器が存在する可能性があります。
その存在そのものや風合いを価値として認めさせることができれば、決してマネできない産品を生み出せます。
長くなりましたが、古いものに価値がある、というのは残そうという意思と実際の行動の熱量自体に価値がある、という考え方だと思います。

現在の大阪府の財政事情が崩壊しかかっていることは聞いていますので、そのまま存続しろ、というのも酷な話です。
地方でアミューズメント性の高い公共施設が、全くの不入りで赤字を垂れ流しているようなところは、ノウハウごと全量引き継いだらどうでしょうか。3千人より低い入場者の施設は考えた方がよいです。

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