11/14(日)19:54~にテレビ東京で放映された「久米宏 経済スペシャル新ニッポン人の食卓」が面白かったのでその感想を。
以前は久米氏がテレビの特番をやる、レギュラをやる、というだけで話題になったものですが、今回の番組はさほど取り上げられず、しかし内容がよいので紹介します。
番組の内容としては、家庭の日常の食卓の実態を分析し、その原因を解き明かすことにより、戦後日本を俯瞰するものです。
バックボーンとしての研究は、アサツーDKの200Xファミリーデザイン室の岩村暢子氏のもので、岩村氏は、新潮社「家族の勝手でしょ!」「普通の家族がいちばん怖い 徹底調査!破滅する日本の食卓」等の著作が話題になった方です。
番組の主旨を要約すると、
現在の70歳代(母親世代)は、戦中に幼少期を過ごし、戦後までを通じて食糧難の時代を生きた方々なんですね。よって、自身には戦前の日本の家庭の食卓の記憶がなく、記憶にある食卓は忌避すべきもの、自分の子供には経験させたくはないものになります。各家庭の食卓は、各自がばらばらに再現したものであった訳です。
現在の30歳~40歳代(子供世代)の幼少期は、母親世代は子育てをしつつ社会で働く存在であり、かつ、簡便なものが高価であり、進歩的であるという時代の価値観からインスタント食品を食卓に取り入れていった頃にあたります。
子供世代はバブル期に青年時代を過ごし、額面の高級なものを志向しつつ、簡便な食卓の恩恵を当たり前のものとして享受してきました。また、母親世代は、戦後のパラダイムシフトを目の当たりにし、自身が強制されるものを厭い、自由のありがたさを痛感していることから、自らが再現した食卓を主体的に子供世代に伝えようとはしませんでした。
よって、子供世代が子育てに入ったとき、その食卓は「昼ご飯がお菓子」「食器化する鍋」等、無残なものになってしまったということです。ここに「日本の食卓」の断絶が顕在化したことになります。
現在は子供世代の子供、つまり孫世代が子育てを始める年齢になっていますが、その未来の食卓に危惧を残した番組でした。
当然、今回の番組は「家庭の食卓」を取り上げていますが、日本の社会全般に言えることではないか、と考えます。それぞれの地域、会社という組織において世代を俯瞰すると当てはまる見方といえます。
しかし、それを悲観していてもはじまりませんし、するべきではないのではないかと考えます。
食卓を例にとると、子供世代は、孫世代に食卓を伝える必要がある訳ですが、自身の提供できるものは、伝えるべき食卓ではありません。子供世代はその必要性を説き、母親世代を巻き込んで、本当に未来に残すべき食卓とは何かを念頭におきながら孫世代で「日本の食卓」を再構築することを考える必要があるのではないでしょうか。
会社を例にとるならば、新人社員の教育を中堅・若手世代が一元的に提供するのがこれまでの社員教育ですが、本来会社の伸び盛り・稼ぎ頭の世代に教育を負わせるのは会社にとっても損失です。この世代のスピードある競争意識で引っ張りつつ、定年間近の年代を巻き込み、本当に残すべき技術・知識・信条を一対一の教育で植えつける必要があるのではないでしょうか。
なんにしても、「母親世代」の方は、「リタイヤ」した、と思っていらっしゃるかもしれないですし、「子供世代」は、どう対応すればいいか困ると思っていらっしゃるかもしれませんが、両世代が手を携えて、未来のために、一度断絶した日本の社会を新たに再構築することが、ここ20年来の放置されている最大の仕事ではないでしょうか。
以前は久米氏がテレビの特番をやる、レギュラをやる、というだけで話題になったものですが、今回の番組はさほど取り上げられず、しかし内容がよいので紹介します。
番組の内容としては、家庭の日常の食卓の実態を分析し、その原因を解き明かすことにより、戦後日本を俯瞰するものです。
バックボーンとしての研究は、アサツーDKの200Xファミリーデザイン室の岩村暢子氏のもので、岩村氏は、新潮社「家族の勝手でしょ!」「普通の家族がいちばん怖い 徹底調査!破滅する日本の食卓」等の著作が話題になった方です。
番組の主旨を要約すると、
現在の70歳代(母親世代)は、戦中に幼少期を過ごし、戦後までを通じて食糧難の時代を生きた方々なんですね。よって、自身には戦前の日本の家庭の食卓の記憶がなく、記憶にある食卓は忌避すべきもの、自分の子供には経験させたくはないものになります。各家庭の食卓は、各自がばらばらに再現したものであった訳です。
現在の30歳~40歳代(子供世代)の幼少期は、母親世代は子育てをしつつ社会で働く存在であり、かつ、簡便なものが高価であり、進歩的であるという時代の価値観からインスタント食品を食卓に取り入れていった頃にあたります。
子供世代はバブル期に青年時代を過ごし、額面の高級なものを志向しつつ、簡便な食卓の恩恵を当たり前のものとして享受してきました。また、母親世代は、戦後のパラダイムシフトを目の当たりにし、自身が強制されるものを厭い、自由のありがたさを痛感していることから、自らが再現した食卓を主体的に子供世代に伝えようとはしませんでした。
よって、子供世代が子育てに入ったとき、その食卓は「昼ご飯がお菓子」「食器化する鍋」等、無残なものになってしまったということです。ここに「日本の食卓」の断絶が顕在化したことになります。
現在は子供世代の子供、つまり孫世代が子育てを始める年齢になっていますが、その未来の食卓に危惧を残した番組でした。
当然、今回の番組は「家庭の食卓」を取り上げていますが、日本の社会全般に言えることではないか、と考えます。それぞれの地域、会社という組織において世代を俯瞰すると当てはまる見方といえます。
しかし、それを悲観していてもはじまりませんし、するべきではないのではないかと考えます。
食卓を例にとると、子供世代は、孫世代に食卓を伝える必要がある訳ですが、自身の提供できるものは、伝えるべき食卓ではありません。子供世代はその必要性を説き、母親世代を巻き込んで、本当に未来に残すべき食卓とは何かを念頭におきながら孫世代で「日本の食卓」を再構築することを考える必要があるのではないでしょうか。
会社を例にとるならば、新人社員の教育を中堅・若手世代が一元的に提供するのがこれまでの社員教育ですが、本来会社の伸び盛り・稼ぎ頭の世代に教育を負わせるのは会社にとっても損失です。この世代のスピードある競争意識で引っ張りつつ、定年間近の年代を巻き込み、本当に残すべき技術・知識・信条を一対一の教育で植えつける必要があるのではないでしょうか。
なんにしても、「母親世代」の方は、「リタイヤ」した、と思っていらっしゃるかもしれないですし、「子供世代」は、どう対応すればいいか困ると思っていらっしゃるかもしれませんが、両世代が手を携えて、未来のために、一度断絶した日本の社会を新たに再構築することが、ここ20年来の放置されている最大の仕事ではないでしょうか。
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